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当たり前をしないから、変化を感じ取れない   





先日、ある企業での研修の折に「部下の様子を感じ取ることは難しい」といった声を、何人かの上司の方々より聞きました。


何が難しいのかまでは問いませんでしたが、部下の日々の変化を「感じ取る」ことの困難さを言っているのだと思いました。


職場では「考えて対応する」ことが大部分を占めていて、「感じる」というような感情や気持ちに絡む対応は、どちらかと言えば二の次にされています。


考えて考えて、それでもピンと来ていないと「よく考えて動け!」「自分で考えろ!」と叱咤され、そしてまだまだ考え、より効率の良い、より効果的な行動を求められます。





職場において「感じる」ことは不要なのでしょうか?


感情や気持ちによって行動することは、思考を軸として行動することよりも優先順位は低いのでしょうか?


考えて行動した結果の方が、感じて行動した結果よりも優秀な成果になるのでしょうか?





上司の側からすれば、部下には常によく考えて行動して欲しいと願うのは当たり前です。


では部下の側からすると、職場での自分の感情や気持ちをどのように捉えて欲しいと思っているのでしょう。


ある日刊紙が数年前に調査した結果によると、職場で声をかけられて嬉しいと感じる言葉は、男女共に、

  「おはようございます」
  「有難うございます」
  「お疲れ様でした」
  「助かります」
  「またお願いします」

などの、挨拶や儀礼的な返答、また労いや期待の声かけであるようです。


誉められたり評価されることも人のやる気を高める効果はありますが、実は、職場という公の場では、意外と挨拶や当たり前の一言などの声かけの方が、人の気持ちを高める効果があるようです。


一方で、部下の声を拾うと、、、

  「上司が挨拶をしないのは当たり前」
  「自分の上司にゴマすりする方ばかり目立つ」
  「声をかけてくれる時は常に『あれどうなった?』『やったのか?』『何でできないんだ?』ばかり」

上司と部下の感じていることの隔たりは、相当大きいようです。





ごく当たり前の声がけだけで気持ちが高揚するということから考えても、相手の感情や気持ちを汲み取った何気ない対応が、職場ではいかに大切なのかがわかります。


部下は上司に誉められたいと思う前に、

  当たり前の対応を当たり前にして欲しい

と思っているとも言えます。


毎日部下に対して、当たり前のように挨拶したり、労いの一言をかけたり、御礼を伝えている、こういった何気ない繰り返しが、実際はできていなかったりするもの。


そのあたりを部下も敏感に感じ取っていたりします。


日々当たり前のコミュニケーションがコンスタントに交わせていれば、それだけでも上司と部下の距離は縮まっていき、変化もつかみやすくなっているはずですが、感じることが難しいのであれば、お互いの距離感がまだまだ遠いままということかもしれません。





部下の変化を感じ取ることが難しいと考えている上司の方々は、ひょっとすると、、、

  考えることが優先してしまい、上司の感じる能力が衰えている
  当たり前の対応を軽視してしまい、実行できていない
  結果として部下は上司に心を許さないので、距離が縮まらない
  距離が縮まらないので、微妙な変化に気付けず、感じ取ることができない

このような悪循環があるのではないでしょうか?


部下は上司に心を許さない、などは決してあり得ず、心を許せるだけの「安心感、安全感」がないから心を許すことができなくて、結果上司が感じとれないような反応を見せてしまう、のかもしれません。


それだけ部下がわかり辛い反応しか出せていなければ、感じるアンテナの鈍っている上司が感じとろうとしても、土台無理な話です。





勿論、世代間の格差が前提にあることも確かです。


それでも尚言えるだろうことは、、、、

  上司の当たり前対応の欠如が、部下の心を閉ざしている

ではないでしょうか?





部下の変化を感じ取る。


意外と答えは足元にあるのかもしれません。




(M)
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# by ncrd | 2009-12-02 23:17 | コミュニケーション