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カテゴリ:コミュニケーション( 23 )   

当たり前をしないから、変化を感じ取れない   





先日、ある企業での研修の折に「部下の様子を感じ取ることは難しい」といった声を、何人かの上司の方々より聞きました。


何が難しいのかまでは問いませんでしたが、部下の日々の変化を「感じ取る」ことの困難さを言っているのだと思いました。


職場では「考えて対応する」ことが大部分を占めていて、「感じる」というような感情や気持ちに絡む対応は、どちらかと言えば二の次にされています。


考えて考えて、それでもピンと来ていないと「よく考えて動け!」「自分で考えろ!」と叱咤され、そしてまだまだ考え、より効率の良い、より効果的な行動を求められます。





職場において「感じる」ことは不要なのでしょうか?


感情や気持ちによって行動することは、思考を軸として行動することよりも優先順位は低いのでしょうか?


考えて行動した結果の方が、感じて行動した結果よりも優秀な成果になるのでしょうか?





上司の側からすれば、部下には常によく考えて行動して欲しいと願うのは当たり前です。


では部下の側からすると、職場での自分の感情や気持ちをどのように捉えて欲しいと思っているのでしょう。


ある日刊紙が数年前に調査した結果によると、職場で声をかけられて嬉しいと感じる言葉は、男女共に、

  「おはようございます」
  「有難うございます」
  「お疲れ様でした」
  「助かります」
  「またお願いします」

などの、挨拶や儀礼的な返答、また労いや期待の声かけであるようです。


誉められたり評価されることも人のやる気を高める効果はありますが、実は、職場という公の場では、意外と挨拶や当たり前の一言などの声かけの方が、人の気持ちを高める効果があるようです。


一方で、部下の声を拾うと、、、

  「上司が挨拶をしないのは当たり前」
  「自分の上司にゴマすりする方ばかり目立つ」
  「声をかけてくれる時は常に『あれどうなった?』『やったのか?』『何でできないんだ?』ばかり」

上司と部下の感じていることの隔たりは、相当大きいようです。





ごく当たり前の声がけだけで気持ちが高揚するということから考えても、相手の感情や気持ちを汲み取った何気ない対応が、職場ではいかに大切なのかがわかります。


部下は上司に誉められたいと思う前に、

  当たり前の対応を当たり前にして欲しい

と思っているとも言えます。


毎日部下に対して、当たり前のように挨拶したり、労いの一言をかけたり、御礼を伝えている、こういった何気ない繰り返しが、実際はできていなかったりするもの。


そのあたりを部下も敏感に感じ取っていたりします。


日々当たり前のコミュニケーションがコンスタントに交わせていれば、それだけでも上司と部下の距離は縮まっていき、変化もつかみやすくなっているはずですが、感じることが難しいのであれば、お互いの距離感がまだまだ遠いままということかもしれません。





部下の変化を感じ取ることが難しいと考えている上司の方々は、ひょっとすると、、、

  考えることが優先してしまい、上司の感じる能力が衰えている
  当たり前の対応を軽視してしまい、実行できていない
  結果として部下は上司に心を許さないので、距離が縮まらない
  距離が縮まらないので、微妙な変化に気付けず、感じ取ることができない

このような悪循環があるのではないでしょうか?


部下は上司に心を許さない、などは決してあり得ず、心を許せるだけの「安心感、安全感」がないから心を許すことができなくて、結果上司が感じとれないような反応を見せてしまう、のかもしれません。


それだけ部下がわかり辛い反応しか出せていなければ、感じるアンテナの鈍っている上司が感じとろうとしても、土台無理な話です。





勿論、世代間の格差が前提にあることも確かです。


それでも尚言えるだろうことは、、、、

  上司の当たり前対応の欠如が、部下の心を閉ざしている

ではないでしょうか?





部下の変化を感じ取る。


意外と答えは足元にあるのかもしれません。




(M)
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by ncrd | 2009-12-02 23:17 | コミュニケーション

社会へ出る前の若者達のコミュニケーション能力開発   






企業や組織内での人材育成、組織活性化にコーチングをどう活かしていけるかの話題にかすっているかもしれない話題提供を1つ。


昨年度から、県内のある大学経済学部教授とタイアップして、大学生のコミュニケーションスキルを上げる試みに携わってます(詳しくは「大学生支援」のカテゴリーをご覧下さい)。


具体的には、教授のゼミをお借りして、本来のゼミと同意並行で、柔軟なコミュニケーション力を養うエクササイズや、1対1での対話力、チームで働く際の関わり方やディスカッション手法を身につける、などコミュニケーション力開発の為の授業を担っています。


元々は、経済産業省が主催し提唱していた「社会人基礎力アップ」に倣って(詳しくは https://www.kisoryoku.net/ 参照ください)、社会に出る前に社会人としての基礎力を高めておこう、という取り組みです。


その授業の中で認知できたことですが、20歳前後の若者のコミュニケーション力は、驚くほど素直で柔軟性があり、結果変化・成長できるスピードが、社会へ出た者よりも速いのではないか、ということです。


学生達は「その関わり方は、相手の気持ちを汲めてないよね」とか「その行動は『こうして欲しい』っていう相手の要望に沿っていないよね」とコミュニケーションの基礎基本を伝えると、次から即行動を軌道修正できます。


勿論ストレスのかかる社会へ出る前の姿ですから、一概に彼らの変化スピードこそがOKとも言い切れません。


が、社会人としてのスタイルを確立していけばいくほど、コミュニケーションに柔軟性が乏しくなっていく人が多いという現実も踏まえると、できるだけ若いうちからコミュニケーションを理解しながらトレーニングを積んでいけば、社会へ出てから人間関係に迷ったり悩んだりすることは、減るのではないかという手応えがあります。


と言いながらも・・・今日も授業に参加してきましたが、グループディスカッションに参加しないで携帯ばかりいじっている子がいて、教授の「そんなことばかりしてるなら、出てけ!」の指導に対して、逆切れして教授を睨みつけるるような有様もありましたけど(笑)。


若い世代が早い段階でコミュニケーションやコーチングというものに理解を示してくれる状態ができあがれば、社会へ出てから今現在以上にお互いを理解し合える状態を築きやすいのでは、なんて思います。




(M)
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by ncrd | 2009-10-30 23:08 | コミュニケーション

言えないストレス、伝えられないストレス ~アサーティブ   






最近、様々な企業と関わる中で 「アサーティブ」 に関するニーズを強く感じます。


「アサーティブ」 とは、、、


  『自分自身も関わる相手も尊重する姿勢で、自分自身が言いたいこと、伝えたいことを表現する』


というもの。




古くは黒人の地位向上に端を発し、その後、弱者の立場に置かれ続けていた女性の地位向上へと立ち位置を移して、脈々と受け継がれ発展を遂げてきた歴史を持つ、と言われています。


現在における 「アサーティブ」 は、弱者の立場に置かれたことで言いたいこと、伝えたいことを言葉にできなかった時期とはやや状況が異なっているのではないかと思います。


ただ一方で、、、

  部下という仕える立場だから、上司に対して言いたいことを言い辛い
  お客様だから、伝えたいことがあっても言ってはいけない気がする
  年下・格下なので、言いたいことを伝えるのは失礼だ

といった感じの、相手よりしたの位置だから、と受け止めていることから言い辛い状況もまだあるわけです。




そして、現代においては前述とは異なる 「言えない、伝え辛い、表現できない」 状態もあるようです。


それはどちらかと言えば、立場が下という認識からくるものではなく、、、

  言いたいことを、言ってはいけない気がする
  言いたいことを伝えてしまうと、相手が気分を害するのが怖い
  思い切って伝えてしまうことは、出過ぎた真似と思われるのではないか
  ただの出しゃばりだと思われはしまいか
  きっぱり断ることは、悪いことなのではないか
  したいことを堂々と主張することは、我侭だと思われはしまいか
  して欲しくないことに声を上げると、嫌な奴だと判断されないだろうか

上記のような 「こうではないか???という、自己都合的な思い込み、自己の一方的な判断」 に起因するものが目立っていると感じられる次第です。




アサーティブの考え方においては、それらについて 「人は生まれながらにして、言いたいことを正直に誠実に自己責任の範囲で伝えたり、伝えなかったりする 『権利』 を有している」 という原則を持っています。


  当然の権利を持っているのだから、伝えるも伝えないも、自分次第。

  お互いを尊重しようとする姿勢さえあれば、伝えても伝えなくても、いずれも It's all OK。

  断ろうが、止めて欲しいと言おうが、当然の権利を主張しているだけだ。


人権を土台としているから、極めて正当かつ自然な主張を原則としていて、また、権利行使だけを前面にしているわけでもなく、(自己責任の範囲)で言うも言わないも、断るも断らないも選択していい、という合理的な考え方をしています。




というわけで・・・


長々とアサーティブの解釈を書いてしまいましたけど、要するに、現代のビジネスシーンにおいて、そういう言えないストレスが日常茶飯事に転がっているから、何とかしたいニーズとして高く出ている、と感じられるわけです。


言えない状態は、過剰なストレス化につながり、引いては体調を崩したりメンタルヘルスを患うような事態になってしまっています。


健全な状態とは言えないので、アサーティブによって、解決できたらよい問題だと思います。




何だか、独りよがりに解説してしまいました。


でも、引き続き、アサーティブについてお伝えしていきたいと思います。


それによって、何かかにか、社会にお役に立てる一端を担えたら嬉しいです。




(M)
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by ncrd | 2009-10-26 23:56 | コミュニケーション

仲間作りがメンタルヘルス対策になる   





あちこちの企業でメンタルヘルスの話題がのぼっています。


とうとうある社員が鬱になった、ある日出社できなくなった、簡単な仕事ができなくなっている、声をかけてもろくな返事すら返ってこない、など。


特に、大きな組織で働いている人々に、顕著に見られる傾向があるかなと思われます。
(大きな組織に見られる理由は、色々有るとは思いますが)


1990年代のバブルの崩壊、メンタルヘルスの話題が常態化しているような気がします。





私達現代社会の人間は、ごく当たり前に、日々ストレスと共に過ごしています。


頑張るきっかけになるような、そう、これをやり遂げたら自分が成長できる!、などの前向きなストレスもあれば、しんどいな・・・・辛いな・・・そこまでできない・・・といったネガティブなストレス、その両方に晒されています。


前者は前向きなエネルギーや活力になり、後者は心身を蝕んでいく。





人は潜在的に、様々な困難を克服していくエネルギーをもっていて、ちょっとやそっとの苦難であれば、それらのエネルギーを持ち出して、頑張り乗り越えることができます。


ですが、元々持っているエネルギーを超えるような事態に直面した時、予め持っているエネルギーで対処し頑張ってはみるのですが、超えられないことも起こり得ります(当人には超えられるかどうかは判断できない)。


頑張ってみて、やってみて初めてわかることなんでしょうが、超えられないとわかった時には、既に壊れてしまっている。





2000年代は、ストレスとどのように付き合っていけるかが、問われている時代と思われます。


数年おきに経済が大幅に変動し、その度に雇用が脅かされ業務量の増減に振り回され、言い訳も出来ない状況の中でひたすら頑張るしかない。


自分自身の心身が壊れていくことに気付けない、壊れるまで頑張り続けてしまう、壊れかけているのに周囲がなかなか気付けない、そんなネガティブストレス状態がビジネス現場で起こっています。





ではどうすればよいのか?


業務量が減るわけではなし、次々にミッションが下り上司や同僚とのコミュニケーションも充分にとれなくて、成果を上げることを命じられ、なかなか気を抜くことができない。


キーワードは 「いつも声を掛け合うこと」 。


苦しい状況に置かれている者同士、お互い常に声を掛け合い、お互いを気に掛け合い、状態を確認し合って何らか支え合いながら、現実を凌ぎ未来に向かって歩を進めていく。





どこかで聞いたような美談と聴こえるかもしれませんが。


でも、私達はそれぞれ個人の力量の限界があって、それを超える事態に遭遇した時、他者を頼らなければ生現実を乗り越えていけない。


お互いがお互いを頼り合う、支え合う、助け合う関係性を築いていくことが、このメンタルヘルス社会を乗り越えていける方策ではないかなと思います。


その為に、日々のコミュニケーションをどれだけ円滑にできるかが、重要。





「どう、元気でやれてる?」
「仕事、大丈夫?」
「何か困ってない?」
「うまくいってる?」
「助けいらない?」





何時の隣人を愛せよ・・・ではないですが、壊れないようにする、エネルギーを活力に使っていける毎日を送る為には、身近な人々、周囲にいる仲間と声を掛け合うのが一番では?


声を掛け合える仲間作り、がメンタルヘルスから私達を救ってくれるような気がします。





仲間って、どう作るんでしょうね???







(M)
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by ncrd | 2009-09-18 00:05 | コミュニケーション

未来永劫変わらないもの   





未曾有の不況の結果、中小起業の体力がなかなか盛り上がってこない。

石油価格の下落による燃料費調整や、滞っていた在庫調整が行き渡り、大手企業の業績が回復しつつあるが、それらの余波が中小企業に行き渡るまでには、あと半年はかかる感じがする。

中には景気の波に左右されず業績を伸ばしている賢い中小企業もある。

だが、大手の需要を頼みにする小企業にとっては、まだまだ予断は許せない。





一体、いつまで大手の需要に左右される経済社会が続くのだろうか。





バブル崩壊時もそう、現在もそう、為替不安や金融危機だとか、社会不安など、企業が本業でどうこうする以外の要素で、経済不安定な要素を持ってしまっている。

会社とは、社会に貢献しつつ雇用を創出できるようにする為に立ち上がり、そういった場で資本主義の元に競争を行う場であったはずなのに、戦場が違っていはしまいか。

これが茶番と言われずして、何なのか・・・。





混乱した社会の中で、私達は一体どんな力を磨いていけばよいのか。

鍵を握るのが、コミュニケーション力だと、思う。

社会がどれだけ混乱しようが、それでも生き抜いていき、次代の社会を築いていく為には、あらゆる意味で、自分おコミュニケーション力を磨き続けることに、答えがある気がする。




マーケティングや高度なシステムがいかに流行ったとしても、人と人とのコミュニケーションは、未来永劫欠かせないものであるはずだから。








(M)
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by ncrd | 2009-07-20 22:57 | コミュニケーション

強みを活かす 2   




強みを活かして活躍したり、その結果豊かな人生を送っている人が世の中にたくさんいる。
概して幸せな生き方をしていると思われる。


しかし、強みを活かせない生き方をしているから、不幸せというわけでもない。
何に幸せの根拠を置くの違いだろう。


ただ、強みを充分に活かした生き方をしていると、触発されたり見習う人が出てきたり、勇気付けられたり周囲に大きな影響が起こる。




強みとは何なのだろうか?


一般的には 「得意なこと、スキルや技術があること、才能のあること」 と捉えられている。
専門的な分野に言わせると、それは少し違うらしい。


それは 『資質』 であると。


元々生まれ持っているか、幼少の頃より開発され続けて無意識にやってしまうこと。
当り前にできてしまう、苦もなくやれてしまう、備わっている 『資質』 が強みであるそうだ。


イチローは天性の体力筋力知力があり、それを磨いた。
ホリエモンは失敗はしたが、ビジネスを構築するセンスやマーケティング力、人身掌握術、マネジメント力があり、会社員としては生きなかった。


大成功した人もそうだし、まずまず成功した人も、成功ではないが幸せな人は、概ねほとんど資質に従っているではないだろうか。




イチローだとか美空ひばりだとか、マイケルジャクソンや羽生善治などは、資質に従って、中でもとりわけ輝かしい資質を持っていて、それを磨き続けたからああなったのではないか。


プロ野球選手になって一軍に残った選手などは、誰も資質を活かした生き方を手に入れられたとも言える。
特別になり過ぎるかどうかは別として、プロで一軍なら、資質は充分開花している。




ビジネスパーソンが会社の中で強みを活かしたとしたら、どれくらい幸せな生き方ができるだろうか。
その人の考え方にもよるだろうが、少なくとも充実した会社生活に出来るはずだし、会社にしても貴重な財産となる。


ただし、そうなるかどうかは、自分の資質をその人自身が受け入れて、会社の為、世の為、社会の為に活かそうと思えばであるが。
また、資質をどう活かせるのか?のアイデアとつながらなくては、宝の持ち腐れ。
とにもかくにも 『自分自身にはどんな資質が備わっているか』 に自分で気がつかなくては、始まらないわけだ。




組織というのは、組織の成果を上げて社会に貢献する為に存在するものであろう。
だが一方では、お互いの資質を見つけ合い、磨きながら活かし合う為のものである気もする。
いくら社会に貢献!といっても、貢献できるだけのパフォーマンスを出すには、チームワークだけでなく、各自の強みを最大限引き出し活かしあうことが求められるから。




強みが資質であるなら、それを引き出し合い見つけ合い、磨きあう他者との関係性、は大事だ。
自分ひとりでどれだけ頑張っても、資質を活かすことは難しい。


だから、コミュニケーションが大切なのだ。




(M)
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by ncrd | 2009-07-14 23:12 | コミュニケーション

使えるツールのはず   




企業のマネジャーやリーダーの方々にコーチングを知っているかと訊くと、だいたい返ってくる声は「部下の話を聞くこと」「気の利いた質問をすること」「誉めること」です。


そういった印象が伝わり、イメージが湧いているわけですから、一般的な事実はそうなのでしょう。


少し理解が進んでいる人であれば、「部下の行動を促すもの」だとか「モチベーションを維持させる声かけ」、また「目標を達成させるための上司の関わり方の1つ」など、気の利いた声が出たりします。


専門的に学習を積んでいくと、もう少し全体的な理解になっていくと思います。


  「キャリアをマネジメントしていく能力、を備えることのできる手段」

  「ヴィジョンを形にしていく為のコミュニケーションツール」

  「能力引き出し高めていきながら、理想を現実化していくサポーター」


どういった受け止め方にしろ、その価値を知って使いこなせるなら、有益なものと思えます。





同じコーチをしている仲間や、コーチングを理解しているビジネスパーソンの方々から、「仕事の中でコーチングを使えている上司、はどのくらいいるだろうか?」と問うと、だいたい同じような声が出ます。


  『10人に1人ぐらいだと思う』


この1割という数値の意味するところを、どう受け止めたらよいのでしょうか。


恐らく彼らは誰もが、日々の上司の言動や部下の様子などを見て語っているのでしょうが、コーチングを使えていない(と思われる)9人の上司は、いったいどんなマネジメントをしているのでしょう。





部下をやる気にさせながら行動へと駆り立て、チームを機能させ、仕事を通じて部下を成長させ、目標を達成させて成果を上げてくるマネジャーやリーダー、または上司に共通しているものがあると思います。


メディアで言われている声も、実際の現場でマネジメントされる部下の声もほぼ同じようです。


  1、いつも尊敬できる行動や振る舞いをしている

  2、私利私欲が少ない (私心がない)

  3、面倒見がよく誰もを公平に扱ってくれる

  4、結果だけでなく過程を見てくれる

  5、失敗を学習に変える体験を積ませてくれる

  6、些細なことでも話を聴いてくれる 聴く姿勢を見せてくれる

  7、能力レベルに合わせた課題や目標設定をしてくれる   etc


部下がそういうのですから、事実はそうなのでしょう。





上記のような評価を得ている上司は、コーチングを使いこなせているか、あるいは、無意識にコーチングを活かしていると言えるかもしれません。


行動させよう・望んだ方へ動かそうという、目先の目的だけの下心のある質問や猫なで声の誉め方、横柄な話の聞き方をしていては、とても部下は振り向きません。


まして部下は敏感ですし、上司のことをよく観察しています(本当によく見ています)。


ということは、部下から評価を受ける上司は、多かれ少なかれ、部下が望むようなコミュニケーションのとり方をしたり、部下に好かれるような行動や振る舞いができていると言えます。


好かれる上司は、きっとコーチングの要素を活かしているのでしょう。





  「まずは部下が望んでいることを知る。そのスタイルをとる。要望はそれから・・・」




もう少し、コーチングについて知っていただけると、使えるツールになるかもしれません。
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by ncrd | 2009-06-10 23:55 | コミュニケーション

強みを活かす 1   





縁あって、若い頃(今でも若いと思ってはいますが・・・)から小企業の経営者の方々と、経営について色々とお話を伺う機会を得てきました。


様々なタイプの経営者がいますが、小企業という経営形態でも何らか成功していく経営者の人は、強みを伸ばしているんだなと感じます。



  高学歴で頭のよい経営者の企業が伸びていくわけではありません。

  行動力のある経営者が伸びるわけでもない。

  目標やヴィジョンがかなり明確、というタイプも違う。

  きっちりとした事業計画を作成している経営者でもない。

  資金力豊富な経営者・・・でもない。

  マーケティングに長けてうまくいった人でも、続かない場合がある。



「こういうタイプはうまくいく」 そんなセオリーは感じられません。


何となくですが、強みを伸ばしていく経営者だけは、そこそこ発展していくのかな、という印象。





私の両親は、小企業、というか、1つの零細企業に一緒に勤めていました。


その会社の経営者は、とにかく我侭で強引、気難しく、気に入らないことは何でも怒鳴り散らす、威嚇して(当人に自覚があったかは不明)従業員を動かすタイプの経営をしていました。


人をまったく信用しようとしない、従業員ですら特定の者にしか心を許さない。


そういう人でしたから、新しい従業員を雇っても、10人中9人は1日で辞めてしまいます。





そういう、ある意味では劣悪?な会社環境の中で、私の母は賢い存在だったように感じます。


信用に足るという判断で、このワンマン社長の秘書のような仕事を許されていました。


相変わらず母にも怒鳴り散らしていましたが、この社長は母にだけは心を許していたように思います。


また母は、社長を抑えることができる「奥さん」というパトロンから絶大なる信頼を勝ち取っていたからです。





無口な父でしたから、こういう労働環境で勤める母は、ことあるごとにこの経営者夫妻の醜態について、息子である私に愚痴を垂れ流しました。


夕飯時は、今日の社長夫妻の言動がああだったこうだったと、それがおかずのようなもので。


私は嫌だったので夕飯を食べ終わるとすぐに脱出する口でしたが、代わりに姉が延々と相手をしてくれたことを、今も感謝しています。





ただ不思議なことに、母はこの経営者の商売の話になると、何故かこの社長を、誉め称えていたことを覚えています。



  「あの人(経営者)は経営には固い、ゴルフ好きでも経営の勉強は欠かさない」

  「信用できない人には一切何も任さないで、すべて自分の目で確認する」

  「業界はもうダメになっているが、悪い環境でも利益を出す知恵を持っている」

  「やり口は汚いけど、おかげで給料の遅配は一度もないし、安定させてきている」



思うに、このワンマン経営者は、こと零細企業経営に関しては、「絶対に妥協しない自分なりのやり方」を全うしていたのかもしれないな、と、今になって何となく思います。


怒鳴り散らしたり、部下を信用しないところはあったにしても、経営者としての責務はきっちり果たしてきた。


素行の悪さをちゃらにできるぐらい、経営にはひたむきに取り組んでいたのかもしれません。


事実、この経営者のお葬式には、予想を大幅に超えるほどたくさんの仕事関係の方々が弔問にきていたことからも、人となりが理解できたような気がします。





「自分だけの強み」 をとことん活かし伸ばしきった経営をしていたのでは?と。


周囲からどう思われようと、従業員から嫌われようと、経営に関しては自分なりのやり方を通して妥協しないところが、成功をおさめていった要因ではないかと感じます。


鬼の様でも思い通りに結果を残す経営者、と、優しくて印象よくても儲けられない経営者・・・どちらが 「優れている」 のでしょうか。


経営者の罵声を浴びつつも、この会社の中で長く勤められた人は、皆同じことを思っていたようです。


「自分のような境遇の者に、働く場所があるだけで、本当に有難い」





ちなみにこの会社は、経営者の死後、三男が継いだのですが、うまくいかず会社を畳んだようです。


三男はほとんど仕事もせず飲み歩いては、飲み屋の女性にちょっかいをかけてばかりで、しばらくすると、父親の財産らしきものをほとんど食い潰してしまった、とか(と母が教えてくれました)。


(幼子が絵本を読み聞かせられるように、20数年ずっとこの会社の顛末を聞かされ続けてきた私にとっては、この結果に、ふと何とも言えない寂しさを覚えてしまいました)


この息子さんにも強みはあったのでしょうが、偉大な父親も、そこまでのことは教えこめなかったのか。





零細企業の経営も、大企業経営も、経営という一言で語れば同じこと。


それぞれの大きさで、考えさせられることは多いということでしょうか。


気がつけば、自分も曲がってはいますが・・・零細企業経営者の立場、複雑だなぁ。





自分の強みって、何だろう???
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by ncrd | 2009-06-05 00:05 | コミュニケーション

譲り合うコミュニケーション   




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『 直接言えないこともネットでは書き込める 高校生の3 割意識 』
2008.10.13 22:28



高校生のネット利用に関する意識 ネットスターは10 日、第8 回「家庭でのインターネット利用実態調査」の結果を発表した。

ブログや掲示板では、「面と向かっては言えないことも書き込める」と自覚している高校生が3 割に上ったという。

調査は9 月9 日と10 日、高校生1236 人と保護者1236 人の合計2472 人を対象に、Web アンケート
形式で実施した。


ブログやSNS、掲示板などに書き込む際に高校生が感じる意識では、「面と向かっては言えないようなことでも書き込める」が32.0%で最多。

次いで、「自分をよく見せようとしてしまう」(24.4%)や「いつもより強気に出てしまう」(15.9%)が多かった。

「ネットのコミュニケーションの難しさへの自覚を持つ高校生が少なくない」。


(ネットスター)

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メールですべてを伝えることは難しいのでしょうか?


思うにその答えは、人それぞれのコミュニケーションタイプによっていささか変わってくるだろうと。


私の周囲にもいます。


メールが苦手な人、書くことが苦手な人、フェイストゥーフェイスでないと分かり合えないと言い張る人、何でもかんでも電話してくる人、メールを送った後に必ず電話してくる人。





個人的な話ですが、私は話したり携帯電話を使うことよりも、メールの方が好きです。


書くことが好き、というのもありますが(だってブログも長いし・・・)、誰かと話をしようとすると、まず会わないといけない制約があり、会っている時間も限られてしまうのですが、メールはいつでも自由に読むことができます。


また、メールは何度も読み返すことが可能、また書いたことを訂正できない。


読みながら文と文の行間の想いを推し量ることもできるし、持ち歩きもできて保存もできる。
(いいことづくめな書き方。。。)


そんな理由で、私はパソコンでのメールが好きです。





ですが、携帯電話と携帯メールは、いつまで経ってもあまり好きになれません。


ひとえに 「忙しい」 感じがするからです。


せっつかれているようで(相手はそんな気はないのでしょうが)、自分の時間を侵害されているような印象ばかりが思い浮かんでしまい、時折携帯電話の電源を切りたくなってしまいます。


社会的に不適応なんでしょうね、自分は。





手紙。


つい20年ほど昔は、携帯電話やパソコンなんてなかったので、言葉以外のコミュニケーションのやり取りは、もっぱら 「手紙」 「書置き」 「固定電話」 でした。


固定電話も、家にいないと受けられないので、そもそも現在のようなタイムリーな携帯でのコミュニケーションはできない環境が当たり前。


今の世の中のラブレターは、ほとんど携帯メールだと聞いていますが、昔はせっせと手紙を書きました。


そういった意味で、現在はタイムリーなコミュニケーションが当たり前になっており、でも一方ではそういうタイムリーさは、時として煩わしいと思うこともあったりします。





手紙のよさは 「相手をおもんばかって表現する奥ゆかしさ」 「行間に込められた想いをイメージできる」 「何度も読み返すことができる」 など、想像力をかきたてられるところがよいのでしょう。


反面、書くこと・送ることに時間がかかります、決してタイムリーなコミュニケーションとはいい難い。


でも手紙を立て続けに何度も送り続けるような人も、昔はいませんでした。


それに比べて現在の携帯電話や携帯メールは、立て続けの印象ばかりが残ってしまいます。





私自身、2つの相手に対しては、手紙を使っています。


それは手紙でなければならない理由があって、この2つの相手とだけは、手紙以外のコミュニケーションがあまり相応しくないからです。


ですが、手紙でのコミュニケーションがほどよく成り立ってもいます、不思議なものです。


フェイストゥーフェイスで話さなければ意思疎通がとれないような相手もいれば、メールでのやり取りが相応しい相手もいる。


また、携帯メールが適している相手もいれば、携帯電話でのやり取りが一番よい人もいるし、固定電話がぴったり来る人もいる。


パソコンメールでのコミュニケーションがベストな相手も・・・。





相手との関係性や相性などにより、コミュニケーションをとるスタイルは様々違う、ということでしょう。


どんな手段を使ったコミュニケーションがベストなのか?、そういう視点での話ではない気がします。


私はパソコンメールが一番合っています。


でも世の中には、必ず1対1のフェイストゥーフェイスなコミュニケーションが合っている、という人もいる。





どちらかがどちらかのスタイルへ譲ればよいのでしょうか?


現代のコミュニケーションとは、常に譲り合うことが大事なのかもしれません。
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by ncrd | 2009-06-02 22:51 | コミュニケーション

超高齢化社会がやってくる   




超高齢化社会。



あと10年もすれば、若者1人が3人ぐらいの高齢者を養っていくような時代が来るようです。

こういう社会になるのは、どうやら世界でも日本だけのようです。

北欧の国々は福祉政策が豊かでも子供は産んでいるようなので、社会が高齢化しても出生率が低下している日本は、このままいけばずっと高齢化社会に突き進んでいくのでしょう。



そのうちきっと、、、


  「新入社員の平均年齢が65歳。 教えることは何もないから、好きに働いてください」


それこそマンガみたいな状況になる時代が来るのでしょうね。
(真面目に・・・)



今後の高齢化社会をイメージすればするほど、経営課題は今とガラリと変わる気がします。

まず、若者を教育することよりも、新入社員である高齢者の方々から学ぶことが増える。

知恵や知識、経験から多くを学ぶことができるので、知的財産が容易に増えるのでしょう。



知的財産が容易に手に入るのであれば、それをいかに早く商品化し、サービスの充実につなげられるか。

若者の育成テーマが絞りやすくなるかもしれません。

ただし、若い世代が 「聴く耳」 をもっていればの話ですが・・・。



組織のコミュニケーションは、高齢者の居心地よい話題に独占されるのでしょうね。

健康の話題、子や孫の話題、過去の体験の話題、老後の話題。

若い世代が準備しないといけないのは、そのような高齢者の方々が好む話題についていく能力を高めること。



若者人口が減り続けても、優秀な頭脳を持っているある一定割合の若者達は大企業へ勤めていくのでしょうし、一方では、産学連携に後押しされて、起業を目指す若者も増えていくことでしょう。

また、比率は変わらないと考えれば、勉強はあまり優秀でないけれどもやる気だけはある集団の子達は、中小規模の企業へ集まっていく。

そして、零細企業はといえば・・・ある一定の力量の子達は、やはりそこへおさまっていくことでしょう。



でもそこに、「高齢者集団」が加わることになるのではないかな、と思います。

第一の人生を全うした方々は、第二の人生の充実を目指していかれるでしょう。

企業の規模や任せられる業務レベルよりも、、、


  「自分自身がいかに充実した生き方ができるか。年をとってもまだまだ貢献できる。
   得てきた知識や経験を社会に活かしたい」


そう思われるのでは、と感じます。



これからの日本の社会は、減少する若者達と増え続ける高齢者達が共存できる姿を目指すことになります。

そして企業社会の中では、そんな若者達と高齢者達が、共に磨きあえてお互いに充実ができるような組織をいかにして作り上げていくか、がテーマになるような気がします。

数が増えるから高齢者、というわけでもなく、数が少ないから若者、でもない、共存共栄の世界。



年上の部下が益々増えることになります。

上司が身につけていかないといけない能力も、段々と変わっていくのではないでしょうか。

はっきりと言えることは 「年上や年下の部下と信頼関係を築くことのできるコミュニケーション力、をどう身につけるか」 そんな気がしています。



かつての上司が部下になることもあるのかも・・・。





(M)
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by ncrd | 2009-05-29 00:24 | コミュニケーション